土曜日、台東区谷中界隈を中心に催されている
谷中芸工展に行きました。
既に今年で14回目を迎えるという谷中芸工展は、「まちじゅうが展覧会場」をキーワードに谷中に暮らす普通の人々の日常の創作活動をとりあげ交流の場を作ることを目指す催し、なのだそうです。キーワード通りに街全体がアートで溢れる、という感じですね。でも、谷中界隈はその存在と雰囲気自体が既にアートであるともいえそうです。
さて、初めて訪れる芸工展は、ブロガー仲間でもある
谷中M類栖のm-louisさんが出展されるということで、これは足を運ばねばということで行ってきました。
根津駅からそう遠くない場所にあるm-louisさんのお宅は、3階建てのすっきりした建物ですが、玄関部分はバーゴラが張り出し、玄関ドアの把手はケヤキでできた特徴的なデザイン。今回の芸工展でのスタンプラリー用判子のデザイン(下の図)にもなっているものです。
![谷中M類栖/1f[丸井金猊リソース ver1.0]/谷中芸工展つれづれ_b0007893_23151299.gif](https://pds.exblog.jp/pds/1/200610/22/93/b0007893_23151299.gif)
出展内容としては、おじいさまである丸井金猊(きんげい)氏の作品を、ご自宅(といってもm-louisさんご自身は大阪が拠点なわけですが)の1階のギャラリースペースを使って展示するというもの。
もともと屏風を中心としたおじさまの作品を展示することを目的としたこのスペースは、天井も高くゆったりとした空間になっていたのですが、そこに3.5m×2.5mという大きな屏風絵「壁畫に集ふ」を中心とした10点の作品が展示されていました。
ちなみに、「谷中M類栖/1f」というのは今回の芸工展参加にあたりつけられた展示スペースの名前なのだそうですが、個人的には気に入っています。m-louisさんご自身が
そのネーミングについてのエントリーにおいて、ギャラリーという言葉の由来(イタリア語で回廊)から考えた時にちょっと違うかな、ということで(他にもいくつか理由があるそうですが)あえて1階を意味する「1f」にされたと記されています。
でも、「谷中M類栖ギャラリー」だとむしろベタな感じもするし、その意味でユニーク感があり、特に「f」が小文字というのがポイント高いかな、と思っています。(あくまで感覚的な話ですけど)
さて、あらためて展示内容のお話です。
大作
「壁畫に集ふ」は昭和13年、ご本人28歳の時に制作されたものなのだそうですが、事実上最後の作品でもあるそうです。本格的な戦争の時代へ突入し、諸般の事情から自由な創作活動を続けることができなくなり、以後は教職の道を歩まれたのだそうです。
いくつかの学校を経て神奈川工業高校の工芸図案科の教壇に登られたわけです。そのあたりでのお話については、自分の
世田谷美術館での展覧会でのエントリーにおける細谷巖氏に関していただいたコメントと、m-louisさんご自身の
関連エントリにもありますので、ご参考まで。
それにしても状況が違えばもっと色々な作品を生み出されていたでしょうから、若くして筆を折らざるをえなかったのは時代が故とはいえ残念なことではあります。
いずれの作品も綺麗で非常にきめの細かい丁寧な仕事ぶりが伺えるのですが、どことなく単純に純粋な日本画というよりも洒落た雰囲気が感じられたのは気のせいでしょうか。
「鷺圖(仮)」などは、なんとなく伊藤若冲の作品を思い起こしてしまいました。
「茶子花圖」はわがやの
たたみるーむにあるなんちゃって床の間に是非飾ってみたいなあと、真剣に考えてしまいました。(他作品ももちろん良いのですが、明らかに大きさがはまらないので。。)
実は作品以外にも、作品と作品の間に置かれていた数々の古き時代の良きものにも目を奪われました。
「壁畫に集ふ」を挟むように置かれていたモノはなんだろうとうかがうと「ホカイ」というものだそう。漢字だと「行器」ということで詳しくはm-louisさんの
こちらのエントリーに詳しく記されていましたのでご覧ください。それ以外にも非常に趣のある箪笥など色々とあったのですが、こういったものをずっと大切にされる姿というのが、m-louisさんとそのご家族のある種の意識の高さを見るような気がしました。
というような感じで、短い滞在時間ではありましたが、m-louisさんご自身にも作品解説をしていただき、中味の濃い時間を過ごすことができました。
この場では、同じくブロガー仲間であるJ-16さんとそのご家族にも偶然お会いすることができて、その意味でも足を運んで良かったなと思いました。
芸工展は明日月曜までですが、m-louisさんの今回の出展は本日日曜日で終了。
また来年のお楽しみですね。
m-louisさんありがとうございました。
谷中界隈のつれづれについてはまたあらためて。